わだおばちゃんの子育てメモ

子育て中の心境や気付き。主に自分のための記録だけど、シェアにも使います!

「川には興味がないもん!」と言い放つ娘

初めに「コロナ禍」と聞いた時、「渦中」だから「コロナ渦」だと思いこんでいた私です。

 

コロナ禍の渦中の夏。9日間を娘とどう過ごすか。

公園は暑くて日中は無理です。(そう言いながら何度か行きましたけど)

 

今年は俵山の河川プールは閉鎖。だから、

旦那がココランドのプールに連れていき、

私は美祢の温水プールに連れていき、

けれど、このあたりでもコロナ感染者が連日報告されるようになってからは

それもためらわれ。。。

 

じいじが底力を見せ、炎天下に、実家の庭でビニールプール遊びを盛り上げてくれ、娘は大喜び!

しかし、それも毎日はできません。じいじは瞬発力はものすごいけれど、持続力はないのです(笑)

 

私は、実家のあの冷たい地下水は無理!

 

同じく冷たい水でも、川なら、いろいろな生物がいるから楽しい。

「あ~川に行きたいな~。川に行ってカニや魚をつかまえようよ!」と

娘を誘ってみました。

 

が、

「いやだ!川には興味がないもん!」

と返ってきました。

 

5歳児が「興味がない」って、そんな言葉、使います?!どこで覚えた?!

うれしさ半分、悲しさ半分。

 

娘と一緒になって思い切り遊びたい。

だって、娘が楽しんでいる姿を見るのは嬉しいけれど、見ているだけでは結局自分が満足できなくて、他のことを考えてしまい、ついスマホ見ちゃったりするんですよね。

そんなのが自分で嫌で。。。

 

「ピザつくろうや」と言っても、「嫌だ」。う~む。

 

何か夢中になれるもの、ないものか。3密と熱中症を避けながら…

 

 

…ふと、ベランダと窓の掃除を思いついた。

ホース伸ばして、柄付きスポンジと、柄のないスポンジ、バケツ、いろいろ試してみる娘。

水がかかって、「あ、ごめん」

わざとかけて「あ、ごめん」

わざとかかって「気持ちいい~」

「あ、虹ができた!」

 

「向こうの蛇口、締めてきて!」と頼む。

待っても待っても一向に水は止まらない。笑

 

廊下には小さな、いや、結構大きくなった足跡がペタペタ。

ついでに廊下も拭き掃除。

 

ピカピカになった窓とベランダを見て、親子でニンマリ。

この達成感の共有、たまらないね~~^^

 

川に行けなくても、夏のいい楽しみ、みいつけた!

演技力を試すゲームからの、即興ことば遊び

お風呂の水を抜く時に、

「お母さん、流されて」と娘が言いました。

 

裸であることを忘れ、全力で流されるふりをしました。

 

娘は必死で助ける役をします。

 

 

翌日もそれは続きました。

「うんとこしょ、どっこいしょ!」

おお、大きなかぶかあ!

 

と思いきや、その後、

「一人じゃ無理無理。あっかんべー。おしりペンペン。」

 

?!?!

 

意表を突かれ、ユーモアに大笑い。

 

 

そしてまた翌日。

「うんとこしょ、どっこいしょ。

一人じゃ無理無理。あっかんべー。おしりペンペン。

おなかぽんぽん。おむねびろーん。」

 

…なかなかやりますね。このこは。

 

追記2020/08/15

久々にこれが出ました。

今回は犬を呼んでくる演技が加わりました。

広がりますね~

電子キーボード(電子ピアノ)

 ギターが好きな私ですが、若い頃、「ピアノが弾けたらな・・・」と思って、思い立ったが吉日、家電屋で1万円台の電子キーボードを買って、数日間練習したことがあります。

 

 

当時の目標は何だったのでしょうね。全然覚えていません。ドビュッシーの「月の光」を弾けたらな、とは今でも思いますが、当時もそんな感じだったのでしょうか。ちなみに今は「髭男の切ない和音を鍵盤で弾きたい」というのはあります。ギターで弾くコードを鍵盤で押さえると、音楽理論にのっとって、add9とかsus4とかをどのように押さえるのか、どの音を組み合わせているのか、勉強になると思うからです。

 

…そんな話はさておき、

アパートには邪魔になって、中古屋に二束三文で売りました。

しかし、数年後、また同じ思いにかられ、また同じ家電屋で同じような電子キーボードを買った記憶があります。

その時は多分、作曲のために使ったのだと思います。今はアイパッドの音楽アプリですみますが、当時は物がないと音がとれなかったですからね。

 

そのキーボード、しばらく実家に置いていましたが、晴れて毎日活躍する日が来ました。 

娘が弾いております。「チューリップ」を。

「教えて!」と言ったり、「教えないで!弾かないで!自分でやるから!」と言ったり、分単位でコロコロ変わるので困ったものですが、

弾けるようになっていました。

さらには、C(ハ長調のド)始まりではなく、F(ハ長調のファ、へ長調のド)で始まるバージョンも弾いていました。

それに気付いたことに感心。

 

ちっちゃい玩具のピアノにはない機能が、そこにはあります。

何百種類もの歌や音色が入っていることです。

そらに上位の機種になると、鍵盤が光で教えてくれます。

夢中です。あっというまに30分。

 

私のギターとセッションする日も近そうです。

 

そして、最近では「この動画(髭男)より、お母さんのギターと歌の方が上手!」などと、ごますりを覚えた娘です。

家庭内ビデオ通話

仕事の関係で、Microsoft Teamsでアカウントを2つ作っていろいろ試してみている。

娘(お古の端末)と私とで、家の中でビデオ電話をしてみた。

これが、いい。

新鮮!

 

自然に、普段よりも、表情や言葉の一言一言に集中する。

 

面と向かって話をすることが、思えば日常でそんなにないことに気付いた。

 

休校、休園も一旦終わるが、今後も「家庭内ビデオ会議」をしようと思う。

 

Microsoft Teamsでなくても、ラインでも何でも、ビデオ電話ができるものなら何でもいい。)

「友達」の存在は、いわば水

引っ越してきて2ヶ月弱。ご近所に友達ができました!

娘と歳が近い、女の子です。

運動不足解消にと、せっせと歩いていた時に、ばったりお会いしたのです。

 

以前は同年代の子と公園で会っても「お母さんがいい!」と言って離れなかった娘が、

「お母さん、あっち行って」と言って、会って2回めの子とずーーーーっと遊んで、

二人そろって「まだ帰らない!!」と言うんですね。

 

私と公園に行った時は、他の人がいないと「さみしいね」「飽きた」と言ってすぐ帰るのにね。

私と家で二人で過ごしていたら、何しようか~何しようか~面白くないとイライラしたりするのにね。

 

別の友達ともそうです。とにかく友達と過ごす時間には実に刺激的で楽しそう。

 

その存在は「いわば、水」。

水遊び、プール遊びで何時間も過ごす時のよう。

 

そのまま飲んだり、料理に使ったり、手を洗ったり、トイレを流したり、水は変幻自在。遊びも、おいかけっこ、砂遊び、ままごと、ボール遊び、おしゃべり、人形ごっこ、自転車で警察ごっこ、…友達と2人以上いると、1人の時や親といる時とは比べ物にならないくらい遊びが発展する。

 

水は川を流れたり、蒸発して雨になったりして、終わることがない。友達との遊びも、終わらない。

 

水はなくてはならないもの。友達との遊び時間も宝物。

 

・・・娘は、ファンとミラージュやプリンセスは大好き、自転車も外遊びも大好きですが、のめりこんで1日中それをするというような趣味はありません。

だから余計に、

「友達」と「一緒に遊ぶ」ということがどれだけ子どもにとって刺激的か。必要か。ありがたいか。

休校、休園中に強く感じたことの一つです。

 

そして私もママ友トークでワクワクと安心感をいただきました。

感謝、感謝です。

365日 Mr.Children 愛の詩

ミスチルのライブ映像を観ています。

桜井さん。笑顔がまぶしい。もちろん4人とも。

深く刻まれた目尻のしわが、年月を重ねたことと、いつも笑ってきたことを表している。毎日笑っているんだな。

深いしわ、そして深いお辞儀に深い感謝。

 

…鏡に映る自分はどうだろう。眉間のしわばかり濃くなってるなあ。

毎日娘に小言を言っているからかな。

それに、何でも難しく考えて力が入ってるからかな。

 

「365日」が始まった。

君が好き、分かってる、馬鹿げている、でもどうしようもない

思いがここにあんだ ・・・

同じ気持ちでいてくれたらいいな

針の穴に通すような願いを繋いで ・・・

思いが届いていなくて、同じ気持ちでいてくれたらいいなと淡い期待を懐く「片思い」の歌だと思っていた。片思いなのにどうしてこんなに切なくないメロディなんだ?とずっと思っていた。

それに、ただ愛の詩を君に捧げたいって言っても、まるで付き合える確信のようなものが感じられて、「君に触れたい 心にキスしたい」とは、あまり言うとストーカーみたいで怖がられるのではとすら思っていた。(桜井さんだからかっこいいけど。)

けれど、ライブを見て改めて考えると、これは付き合っている人への詩ではないかと考えが変わる。

「馬鹿げている」は、「付き合っているのに『君が好き』と改まって言うこと」、

「同じ気持ちでいてくれたらいいな」というのは、付き合っているから一応自分のことを好きでいてくれているのだけど、あふれてこぼれるような強い想いをもっていてくれたらいいなと捉える。

丁寧にじっくりと向き合って「針の穴に通すような思いを繋いで」。

 

こう考えると、片思い説ではしっくりこなかった2番もしっくりくる。

例えば「自由」、例えば「夢」、

盾にしてたどんなフレーズも効力(ちから)を無くしたんだ

君が放つ稲光に魅せられて

「ひとりきりの方が気楽でいいや」そんな臆病な言い逃れは終わりにしなくちゃ 

片思いの人が、付き合える体でそう思っているのではなく、

付き合っている人が、他のどんなことを置いてでも、このまま君と一緒にいたいということ。

 

昨日よりも深い場所で君と出逢いたい

 

明かりを守り続けよう

 

君を巡る想いのすべてよ どうか君に届け

これまでも想ってきたし伝えてきたけれど、すべては伝えきれていない。

だから、想いの「すべて」を君に届けたい。そういう詩なんだ。だからこんなメロディーなんだなと納得した。安心してください、今回は不倫のふの字もありません。

 

「シンプル」の弾き語りもかっこよすぎたけれど、「365日」は何て情熱的なんだとしみじみ。

 

そういえば、同僚が、ライブではこの曲の前に社会的な映像が流れたから、そういうメッセージのこもった詩なのだろうと思っていたと言っていた。

ん?ただただ恋人や妻を想う愛の詩ではないのか?と思い、

調べてみると、こんな記事を見つけた。

archive.eco-reso.jp

きっかけは、エイズ感染予防の活動の話からだったそうで、「ラブチェックがムードとして伝わるためにはどうすればいいか」と考えたそうで。

命の尊さや、相手を思いやる気持ちの大切さといった、ラブチェックの根底にある思いを込めた曲

 

待つことも楽しみに

そしてNTTdocomoのCMでは、親子の愛、夢も描かれていて

www.youtube.com

www.youtube.com

 

 聞く人がそれぞれ愛について感じ考えればいいんだと、まあ、当たり前といえば当たり前のことに納得したんですが(笑)でもすっきりしました。

 

ある程度人生を重ねた今だから気付けることもある。

今、こうして歌を味わえるのは幸せです。

 

 

・・・さて、自分自身はどうだろう。

実は、娘から、毎日、それこそ「365日」、言葉を持たぬラブレターやら、言葉を持つラブレターやらが、届くんです(笑)

 


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「あ」が書けなくて、「おかまさん」になってる(笑)
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 「ん」の山が多い(笑)

やっと「あ」が書けてる!

 

私からも、返事を書きます。けれどたまにです・・・

 

では、私からの365日のラブレターは何だろう。

趣味や仕事に熱中したら娘のことは後回しにしてしまう、ちょっと変わった母親ですよ。

 

 

・・・「料理」かもしれません。

実家を出てから、毎日、毎食、私が作っています。

週に2回は外食かな、週に2回はお惣菜かな、という気持ちで始まった核家族生活ですが、

新型コロナの影響もあり、意外に毎食作っているんです。こんな自分が信じられない。

 

相変わらず野菜は嫌いな娘だけど、「おいしい」と食べてくれたり、よしと思って別の日にまた出したら平気で「嫌い、飽きた」と言うし、食べたいというから高い食材を買ったけど結局一口も食べなかったり。振り回されっぱなしです。腹も立つし凹む時もある。

しかし、そんなことはあまり関係なく、暇があれば料理本を見て、新しい味の開拓。

愉しい。それでいい。

 

そんなある日、語彙が増えた娘から、

「お母さんのお料理が一番おいしい」という言葉が!

そしてGWにピザを一緒に作った時には、

「自分たちで作ったものが世界一!」と。

 

…反応は関係ないと思っていたけれど、やはり、感激です。

 

ばあばとのおままごとの中で発していた言葉は「ミネストローネ」。

この前作ったやつだ。名前までよく覚えていたなあ。

 

私が料理(時短料理ね)で届ける愛と、それを通した娘の言葉から感じる愛。

深まりに気付いたおうち時間です。

目尻にしわができるかな。

 

 

 

そして、この、ほぼ誰も読まない、自分の記録のために書いているブログは、

記録ならネット上に公開しなくてもOnenoteに書いておけばよいものを、

だけどほんの少しの読者を意識して書いている。

つまり、

ここまで読んでくれている、あなたへの、私からの愛の詩。

 

「どうか 君に 届け…」

 

 

 

 

押し付けやね(笑)

 

 

 

 

 

 

「リメンバー・ミー」そうだ、祖父母の写真を飾ろう!


『リメンバー・ミー』- 最高の瞬間

新型コロナの影響で、施設に入っている祖母に会いに行けない。

他県にいる姉妹や姪っ子甥っ子、叔母に会いに行けない。

会いたい。

お空に行ってしまった、祖父、義母にも、会いたい。

娘は「会いたい」と言って、死後しばらく泣いていたっけ。

 

「会いたい」「会いたい」と言っていると、「愛」を感じる。

「会う」 と 「合う」 と 「愛」 って、語源でつながっていそうだ。

 

 

この映画では、死後の国では、生前の世界で自分のことを覚えている人がいなくなったら、第2の死、本当の死を迎えます。

だからというわけではないけれど、家族を大切にし、ご先祖様の家族の写真を祭壇に飾っては、これは誰で、そのお母さんが誰で、どんな人で…と語り継いでいる。

 

…私も自分のルーツが知りたくて、それと、本家の長子という宿命を感じて、

祖父が生きている間に、根掘り葉掘り、いろいろと聞いたものです。

だから、割と知っている方だと思います。

でも、祖父がまとめてくれた手記をもっているだけ。話にはのぼらない。

写真も、祖父母のは多少あるが、曽祖父母の代になると、見たことがない。

 

そういえば、小さい頃、父がカメラマンということもあり、家には家族の写真がたくさん飾ってあって、

しかも今の実家には、祖母の葬式用の写真までもう修正済みのが作ってあって飾ってある・・・不謹慎な気がしないでもないが・・・割とドライな家庭です。

 

うちにも娘の写真は結構飾ってあります。

けれど、父母、祖父、義母との写真は、小さいの一枚のみ。

祖母の写真は、ない。姉妹、甥姪、叔母の写真も。

 

…そうだ、

会いたい会いたい言ってないで、写真を飾ろう!!

そして語り継ぐんだ。娘に。

「ひいばあちゃんはね、こんな人なんだよ。今は施設にいて会えないけど」と。

 

そして、電話ができる人とは、メールなりテレビ電話なりをすればいいんだ。

 

よーし、するぞ!

娘と一緒にできるしね!

愛を形に。